『狭山藩北条氏の歴史に触れよう』第4回~第6回実施しました。

10月19日。第4回め
藩政改革に着手した 6代、北条氏貞 、狭山騒動が起こった時の藩主 7代、北条氏彦 、 陣屋火災を乗り越えた藩主、8代、北条氏昉 のお話を歴史文化グループ(市史編さん所)の橋上猛雄さんにして頂きました。

10月26日。第5回め
いよいよ世界がまわりはじめた時代の藩主
『大坂城の警備や湾岸警備を務めた、9代北条氏喬、『農兵を徴集し軍備拡大をすすめた、10代北条氏久』『藩校を興じ文学を奨励した11代北条氏燕』についてのお話を歴史文化グループの山脇大輝(やまわきひろき)さんがお話ししてくださいました。

西暦でいうと1801年から1861年のお話しです。
時代背景と共に、その時代を生きた藩主が行ったことなどをお話ししてくださいました。

11代氏燕の頃、すぐれた人材を引き立てるために藩校が再興されたそうです。藩校の名前は、『簡修館』。現在、歴史文化グループで実施されている歴史の学習会の名前になっています。

11月2日。第6回め(最終回)
最終回となる今回も、山脇大輝さんからの講義です。『最初に版籍奉還し明治天皇に仕えた12代北条氏恭』のお話です。
時代は1861年~1869年。そして、その後1870年~1919年。
大政奉還のあと、狭山藩知事を仰せ付けられるが、辞表をだし、廃藩となり、狭山藩の歴史はここで終え、その後、藩主であった氏恭は、東京にて明治天皇の侍従と務められたといったお話を聴きました。
時代が明治の頃になると資料も絵図、文書だけでなく、写真が含まれてくるので、イメージがしやすく感じました。

全6回。狭山藩北条氏の13人のお殿様のお話を講義頂きました。テレビ等で時代劇を見ているだけではイメージできない藩主のお仕事や藩主と言いながらも、自身は任務として与えられた土地に住み領地に長く住んでいたわけではないことなど、史実に基づいた歴史のお話を聴かせて頂きました。
定員を超えるたくさんの方にご参加頂き、熱心にお話を聴かれている様子が印象的でした。
中には、先祖代々この地に住んでおられて、とてもこの地の歴史に詳しい方もおられました。

今後も、私たちが住んでいるまち、この大阪狭山の歴史に興味を持って頂けるような講座を実施していきたいと思います。

ご参加頂いたみなさん、ありがとうございました。



カテゴリー: 講座の記録 パーマリンク